言葉ログ#6 ”真の贅沢というものは、ただのひとつしかない、それは人間関係の贅沢だ。”
サン=テグジュペリの作品の中でも一番好きなものから。
とはいうものの、やがて僕らも少しずつ気がついてくる、あの一人のあの明るい笑い声を、二度と聞く日はもうないのだと、あの庭園は永久に僕らのために閉ざされてしまったのだと。するとこのとき、はじめてぼくらにとってのまことの服喪が始まるのだ。それはけっして裂くような悲しみではないが、しかしどうやらほろ苦い。
何ものも、死んだ僚友のかけがえには絶対になりえない、旧友を作ることは不可能だ。何ものも、あの多くの共通の思いで、共に生きてきたあのおびただしい困難な時間、あのたびたびの仲違いや仲直りや、心のときめきの宝物の貴さにはおよばない。この種の友情は、二度とは得難いものだ。樫の木を植えて、すぐその葉蔭に憩おうとしてもそれは無理だ。
これが人生だ。最初僕らはまず自分たちを豊富にした、多年僕らは木を植えてきた、それなのに、やがて時間がこの仕事をくずし、木を切り倒す年が来た。僚友たちが一人ずつ僕らから彼らの影を引き上げる。かてて加えて、僕らの喪に、今日以後、人知れぬ老いの嘆きが来て加わる。
これが、メルモスとしてそしてほかの者たちが、僕らに与えた教訓だった。ある一つの職業の偉大さは、もしかすると、まず第一に、それが人と人とを親和させる点にあるかもしれない。真の贅沢というものは、ただのひとつしかない、それは人間関係の贅沢だ。
物質上の財宝だけを追うて働くことは、われとわが牢獄を築くことになる。人はそこへ孤独の自分を閉じ込める結果になる、生きるに値する何ものも購うことのできない灰の銭をいだいて。
僕が、自分の思い出の中に、長いうれしい後味を残して行った人々を探すとき、生きがいを感じた時間の目録を作るとき、見出すものはどれもみな千万金でも絶対に購いえなかったものばかりだ。なん日とも購うことはできない、一人のメルモスのような男の友情も、相携えて艱難をしのぐことによって永久に結ばれたある僚友の友情も。
あの飛行の夜と、その千万の星々、あの清潔な気持ち、あのしばしの絶対力は、いずれも金では購いえない。
難航のあとの、世界のあの新しい姿、木々も、花々も、女たちも、微笑も、すべて夜明け方ようやく僕らが取り戻した生命にみずみずしく色づいているではないか。この些細なものの合奏が僕らの労苦に報いてくれるのだが、しかもそれは黄金のよく購うところではない。
そしてまた、いま思い出にのぼってくる、不帰順族の領域内ですごした、あの一夜にしても。
サン=テグジュペリ「人間の土地」より『僚友』(p44-46)
言葉ログ#5 "もし世の終わりに裁かれるなら、僕が本当の人生を生きてきたかどうかで判断してほしい"
夢は?と聞かれたとき、職業で答えるしかなかったりする。
間違ってはないんだけど、追うべきはもっと信条に近いものなんじゃないかと思う。
脳手術の前の晩、僕は死について考えた。僕は自分の一番重要な価値観とは何かを探り、自分に問うてみた。
もし死ぬのであれば、徹底抗戦して死ぬのか、それとも静かに降伏するのか。
自分のどんな面を人に見せて死にたいのか。
自分に満足しているのか。これまで人生で何をしてきたのか。
僕は本質的には良い人間だと思う。もちろんもっと良くもなれたが。でもそれと同時に、癌はそんなこと全く気にしないこともわかっていた。
僕は何を信じているのだろう。僕はあまり祈ったことはない。強く希望したり、強く願ったりしたことはあったけれど、祈りはしなかった。
子供のころに、宗教に関しては疑問を抱くようになっていたが、いくつかはっきりとした信念を持っている。簡単にいえば、僕は、自分が良い人間になる責任があると信じているし、勇敢で正直で勤勉で高潔な人間になろうと努力もしてきた。その上、家族に優しく、友人に誠実なら、そして社会にお返しをし、嘘をついたりだましたり盗んだりしていないなら、それで十分だと思った。
もし世の終わりに裁かれるなら、僕が本当の人生を生きてきたかどうかで判断してほしい。ある書物を信じているかどうかや、洗礼を受けているかどうかではなく。もし本当に「神」がいるなら、僕の人生の終わりに、「でもお前はクリスチャンではなかったではないか。だから地獄へ行くのだ」なんていうこと入ってほしくない。もしそう言われたら、僕はこう答える。
「どうぞご勝手に」
ランス・アームストロング著 安次嶺佳子訳 「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」講談社
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言葉ログ #4 "デカルトがその気になったのは、虹を美しいと思ったからだよ"
何かを始める時に。
なんて素敵なんだファインマン先生。
物理学科の建物に向かっている時、遠くにファインマン先生の姿が見えた。私は、この二、三日先生をそれとなく見張っていたのだが、それは、機会を見てまた口をきいてくれるのか確かめたいと思っていたからだった。コンスタンチンに、「また後で」と言うと、私は先生のほうに歩いて行った。
近づいてみると、先生はじっと虹を眺めていた。思いつめたような、緊張感あふれる顔つきだった。虹を初めて見たような顔だった。それとも、虹を見るのはこれが最後、という顔だったというべきかもしれない。
私は、先生にそっと話しかけた。
「ファインマン先生、こんにちは」
「見ろよ、虹だ」先生はこっちを見ずに言った。先生の声は、もう怒ってないようだったのでホッとした。
私も虹を見上げた。立ち止まって眺めると、ほんとうに見事な虹だった。そのころの私の日常とは別の世界が広がっていた。
「昔の人は、虹を見て何を思ったんでしょうね」
私はそうつぶやいた。星についての神話はたくさんあるが、虹も同じくらい神秘的だと思った。
「それはマレーに聞くといい」
先生は言われた。私は、その意見に従って、その後マレーに聞いてみた。そして、マレーが先住民の文化や古代文明の生き字引だと知った。マレーは先住民族の工芸品まで集めていて、彼が言うには、ナバホ族の人たちは、虹を幸運の前兆だと考え、それに対して他の部族は、虹を生と死を結ぶ架け橋だと考えていた。ただし、いろんな部族の名をマレーがあまりに正しく発音したので、私には聞き取れなかったのだが。
「私がたったひとつ知ってるのはね・・・」ファインマン先生は続けた。「こんな言い伝えだ。虹の端っこに天使が黄金をおいてて、それに手が届くのは裸の男だけってね。裸ならもっと他にすることがありそうなもんだけどね」
先生はいたずらっ子のように笑った。
「虹がどうやってできているか、最初に説明したのは誰か御存知ですか?」
「デカルトだよ」そう言うと、少し間をおいてから、先生は私の目を覗きこんだ。
「デカルトが虹を数学的に分析しょうと思ったのは、虹にどんな特徴があるからだと思う?」
「えーと。虹は、水滴の浮かんでいる大気に、観測者の後ろから日が射した時にできる色のついた弧の連続体で、正確には円錐体の断面です」
「それで?」
「デカルトは、その水滴に注目して、虹の成り立ちを幾何学的に分析すれば問題は解決する、と考えたんじゃないでしょうか」
「君はこの現象の大切な特徴を見落としてるな」
「分かりました。降参です。デカルトを研究に駆り立てたのはなんだとおっしゃるんですか?」
「デカルトがその気になったのは、虹を美しいと思ったからだよ」
私は、どぎまぎして先生の顔を見た。先生と目があった。
「君の研究の方はどうだい?」
わたしは肩をすくめた。「それが、なかなか・・・」自分がコンスタンチンだったらなぁ、と思った。コンスタンチンは、いつだってソツのない男なのだ。
「聞いてもいいかな?小さい頃を思い出してみてくれ。君にとっちゃ、そんなに昔じゃないだろ?子供の頃、科学が好きだったか?科学に夢中になってたか?」
わたしはうなずいた。
「物心がついた頃からずっと」
「僕もさ」先生は言った。「てことは、きっとおもしろかったんだろ」
そう言うと、先生はまた歩き出したのだった。
レナード・ムロディナウ著 安平文子訳 「ファインマンさん 最後の授業」 p164-167
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言葉ログ #3 "悩みの真ん中にいるときは誰だって自分が世界で一番つらいし今までで一番悲しい"
大好きな本の、大好きな文章。
つらさの程度は比較できない。悩みの真ん中にいる人に「あなたはまだいいよ、私なんて~」という言葉は無意味で無力だ。
それでも、悩みを抜け出した後は楽しくなるよ、という言葉だけは真実だと思う。
紅茶を飲みながらぽつぽつと話すままにしていたら、突然泣き出してしまった。家も学校もめんどくさい、大学なんか行きたくない、友達はバカばっかり、挙句の果てに彼からは忙しくなるから会えない、と言い捨てられたという。
まるでドラマのような、それも笑えちゃうような不幸のオンパレードなのだが、一緒に笑おうという誘いに乗れるほどの強さを今の彼女に求めるのは酷というものだろう。
あんたの年で親も学校も大好きな子なんていないよ、と言おうとしたがやめた。
いくら彼女が大袈裟に見えてもこれからの方がもっと大変よというのはただの脅しだ。年上の人間が年下の人間に、ただ「知らない」という理由だけで自分がちょっと垣間見た世の中の複雑さやつらさを見せようとするのは罪だと思う。
「誰もが通る道」という言葉は正しいようで正しくない。それぞれが、それぞれの道をそれぞれの悩み方で悩みながら歩くしかない。その解決法も人それぞれだから、アドバイスなんかしようがない。
できるのはただ、道の途中で息を切らし気味の人に、その時は楽しく歩いてる人が給水所のありかとか景色のいい場所をちょっと教えてあげることくらいか。
「この先さらに坂」とか言われたら歩く気も失せてしまう。
葛藤や混沌を他人とわかりあうことは不可能だが、でも24時間暗い顔をしていることはない、いろんな人とあって楽しいことも見つけて、ああ私が抱えているものなんて小さい小さい、と思える瞬間がいくつかあれば、生活はめちゃくちゃ救われる。
いまは自分の狭い世界で悶々としている彼女(や私)だが、大人になればさらに外側の世界についても悩んだり考えたらしなくてはならなくなるだろう。
しかしそれは同時に、今まで見えなかったもの、知らなかったものとの出会いも待ち受ける道のりだ。
経験値は上がる一方。楽しみにしていればいいのだと思う。
大丈夫、今が一番つらくて後は楽しくなるばっかりよと伝えた。
嘘ではない。
悩みの真ん中にいるときは誰だって自分が世界で一番つらいし今までで一番悲しい。
「明け方の訪問者」, 『えいやっ!と飛び出すあの瞬間を愛してる』より
言葉ログ#2 揺れないこと、揺れても焦らないこと
仕事でばたばたする日が続いていてしんどいなーと思うことが多いんですが、心を落ち着けておくための言葉をまとめておこうと思いたちました。
どなたかの参考になればと、ここにおいておければと思います。
1. 壁にぶつかって当たり前。
岩もあり 木の根もあれど さらさらと
たださらさらと 水の流れる
(甲斐和理子)
甲斐和理子さんは京都女子大学の創始者です。激動の明治期に女子のみが集う学校を作り上げたその胆力。
岩があろうと、木の根が張っていようと、水はただその間を流れていく。
人の生もまっすぐに進むのが当たり前ではなく岩や木の根があるのが当然で、水のごとく執着せず過ごしなさい、と。
2. かってな想像でかってに苦しんでるだけ。
We suffer more often in imagination than in reality.
私たちが苦しむのは、現実に起きていることのためというよりは、もっぱら頭のなかで起きていることのためである。
(セネカ)
2011年出版の『ファスト&スロー』では、わたしたち人間がこれだけ地球上で広範囲に成功できている要素の一つとして「現実には存在しない虚構を信じる力」を挙げています。その一方で、まだ見ぬ未来や過ぎ去ってしまった過去について想像を巡らせ、「あの時こうしておけば」「こんなふうになったらどうしよう」と後悔や不安の念が常に私たちにつきまとうのも、この虚構を信じる力のためです。
ストア派の哲学者だったセネカは、理性の力を取り戻せ、といいます。自然がさまざまな障害を与えられたとしてもそれを受け入れ新たな生態系を築くように、人もあらゆる障害を自己の目的を叶えるための素材とせよ、と。
苦しむのは虚構にとらわれているから。現実を直視し、理性の力で克服し、自らの人生の充実に邁進すべし、と。
3. 揺れても沈まない。
僕はきっと船みたいなものなんだと思う。いつも強い風や波にさらされて大きく傾きながら、それでも何とか沈まずに浮かんでいる。障害物も多いから、方向転換も頻繁にするし、時々は後戻りもしなくちゃならない。
でも、全体としては、苦しみながら、ゆっくりでも前に、自分の思っている方向に向けて進んでいる。
(デイビッド・ブルックス『あなたの人生の意味』)
大好きな言葉の一つに、「たゆたえども沈まず(Fluctuat nec mergitur)」があります。16世紀からフランス・パリ市の紋章に刻まれていて、革命や戦乱のなかでも生き残ってきた決意のひとことです。
どんなに強い風が吹いたとしても揺れるだけ。決して沈むことはさせない。
転覆したらすべてが台無しになってしまうから。
本のブログの方もちょくちょく更新しているので、よければ御覧ください:-)
言葉ログ#1 続けること
年末年始に1年の抱負を書く方はたくさんいると思います。
どんなに素敵な内容でも、それを続けていくことが大切で、一方でそれこそが難しいことだと思います。
ものごとを続けていく上で、支えになりそうな言葉を書きました。
困難さを前に心が折れかかった時に
凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時である。
風に流されている時ではない。
Kites rise highest against the wind – not with it.
(ウィンストン・チャーチル)
(from Winstonchurchill.org)
かっこいいですよね、チャーチル。昨年末に「わが半生」を読んでから、更に好きになりました。
チャーチルの生涯は失敗続きでした。士官学校の受験には2度失敗し親のコネでなんとか入学、軍隊に入るも配属は時代遅れの騎兵科、除隊後に出馬した選挙では落選、その後軍に戻り参加したボーア戦争では捕虜に。その後政治家としてのし上がり、第二次世界対戦でイギリスの英雄になるも、対戦直後に実施した総選挙では労働党に惨敗。
「まだまだ諦めへんでー!」って感じで次の戦いへと向かっていくチャーチル、かっこいい。
自分の限界が見えてきた時に
何かを究められる見込みがないからといって、われわれはそれをあきらめたりしない
(エピクテトス『語録』)
(from wikipedia)
エピクテトスは古代ギリシャの哲学者で、「人の運命はすべて神により決められている」という決定論に反対し、ものごとの善悪をみずからの判断と意志に基づいて選択することを説きました。奴隷の子供として生まれながら最後は皇帝に仕えた偉人。
各個人が自らの意志をもって生きていくことを重視したエピクテトスは、「完璧なものだけが美しいというわけではないよ。自らで考え、決定していくことこそが大切だよ」と弟子たちにも伝えています。
お金やランキング、数字で比べられるすべてのものは、上を目指すとキリがないです。淡々と、昨日よりも今日、今日より明日、より良くなれるように。
周りから「無理でしょ」と思われた時に
時として誰も想像しないような人物が、想像できない偉業を成し遂げる
Sometimes it's the very people who no one imagines anything of who do the things no one can imagine.
(映画『The Imitation Game』)
(from Youtube)
コンピュータや人工知能の誕生に大きな貢献をした20世紀前半の数学者、アラン・チューリングは、ドイツ軍の暗号解読で多くの英国民を救いながら、戦後は同性愛の罪で逮捕されるなど不遇の人生を送りました。それでも、彼が残したものは偉大です。
この映画はアカデミー賞の脚本部門を受賞し、脚本を担当したGraham Mooreは自分の経験から、壇上で素晴らしいスピーチを残しました。そのお話はまた今度。
周囲の誰もが認めてくれなくても。自分が必要だと信じることをする。
自分は心が折れやすい人間なので、上のような言葉を励みに、今年も頑張っていければと思います。
企業として存続していくこと、立ち上がること
振袖の業者が行方をくらましてしまった件、ニュースになっていますね。
Webやスタートアップの世界を見てみても、一時期盛り上がったサービスが2017年にぼこぼこ終了しました。
連日記事が出ていた中国のライドシェアも、60社以上出てきて生き残っているのは2社ですって。
こういう記事を見るたび、伊那食品工業・塚越会長のこの言葉を思い出します。
ロマンだからと、景気がいいときは思い切り急拡大しておいて、ダメになったら放り投げる。多くの人を犠牲にする。そういう考えの人は、経営者になってはいけないのかもしれません(いい会社を作りましょう)
社会の公器である企業として、こういう考え方も必要だと思います。
ただ、軍人で後の英国首相、ウィンストン・チャーチルは
勇気とは、情熱を失わずに敗北から次の敗北へと向かうことだ。
なんていう言葉を残していたりして、スタートアップの人たちはまさにこの精神なんだろうなぁと。
何が正解かは個人の主義主張だと思いますが、諦めず強く立ち上がって前に進んでいく精神は、人生を豊かにしそうだなぁと感じます。