一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒

本の中だったり、映画の中だったりで出てくる言葉を定期的に紹介したいと思います。他にも好きなことを書きます。

言葉ログ#16 "地球は広大な宇宙というアリーナのとても小さなステージだ"

宇宙探査機ボイジャー1号が60億km先の彼方、海王星の向こう側から地球を撮影した写真を見て、天文学者カール・セーガンが残した言葉。解像度の低い写真に、点として映った地球。それをセーガンは”Pale blue dot(淡く青い点)”と呼んだ。

 もう一度、あの点を見て欲しい。あれだ。あれが我々の住みかだ。あれが我々だ。あの上で、あなたが愛する全ての人、あなたが知る全ての人、あなたが聞いたことのある全ての人、歴史上のあらゆる人間が、それぞれの人生を生きた。人類の喜びと苦しみの積み重ね、何千もの自信あふれる宗教やイデオロギーや経済ドクトリン、すべての狩猟採集民、すべてのヒーローと臆病者、すべての文明の創造者と破壊者、すべての王と農民、すべての恋する若者、すべての母と父、希望に満ちた子供、発明者と冒険者、すべてのモラルの説教師、すべての腐敗した政治家、すべての「スーパースター」、全ての「最高指導者」、人類の歴史上すべての聖者と罪人は、この太陽光線にぶら下がった小さなチリの上に生きた。

 地球は広大な宇宙というアリーナのとても小さなステージだ。考えてほしい。このピクセルの一方の角の住人が、他方の角に住むほとんど同じ姿の住人に与えた終わりのない残酷さを。彼らはどれだけ頻繁に誤解しあったか。どれだけ熱心に殺しあったか。どれだけ苛烈に憎しみあったか。考えてほしい。幾人の将軍や皇帝が、栄光の勝利によってこの点のほんの一部の一時的な支配者になるために流れた血の川を。

 我々の奢り、自身の重要性への思い込み、我々が宇宙で特別な地位を占めているという幻想。この淡い光の点はそれらに異議を唱える。我々の惑星は宇宙の深遠なる闇に浮かんだ孤独な芥だ。地球の目立たなさ、宇宙の広大さを思うと、人類が自らを危機に陥れても他から救いの手が差し伸べられるとは思えない。

 (『宇宙に命はあるのか』Kindle版、位置2,194)

わたしたちは日々どれだけ小さいことに振り回されているんだろう。

上司や同僚がいう「これは重要な仕事だから」は、本当はどれだけ大切なのだろう。

「あの人と私は違うから」という人は、ほんとのところどれだけ違うのだろう。

自分たちは、どれだけ小さい世界で生きているんだろう。

世界は、宇宙はなんて広いんだろう。  

宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八

宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八