言葉ログ #4 "デカルトがその気になったのは、虹を美しいと思ったからだよ"
何かを始める時に。
なんて素敵なんだファインマン先生。
物理学科の建物に向かっている時、遠くにファインマン先生の姿が見えた。私は、この二、三日先生をそれとなく見張っていたのだが、それは、機会を見てまた口をきいてくれるのか確かめたいと思っていたからだった。コンスタンチンに、「また後で」と言うと、私は先生のほうに歩いて行った。
近づいてみると、先生はじっと虹を眺めていた。思いつめたような、緊張感あふれる顔つきだった。虹を初めて見たような顔だった。それとも、虹を見るのはこれが最後、という顔だったというべきかもしれない。
私は、先生にそっと話しかけた。
「ファインマン先生、こんにちは」
「見ろよ、虹だ」先生はこっちを見ずに言った。先生の声は、もう怒ってないようだったのでホッとした。
私も虹を見上げた。立ち止まって眺めると、ほんとうに見事な虹だった。そのころの私の日常とは別の世界が広がっていた。
「昔の人は、虹を見て何を思ったんでしょうね」
私はそうつぶやいた。星についての神話はたくさんあるが、虹も同じくらい神秘的だと思った。
「それはマレーに聞くといい」
先生は言われた。私は、その意見に従って、その後マレーに聞いてみた。そして、マレーが先住民の文化や古代文明の生き字引だと知った。マレーは先住民族の工芸品まで集めていて、彼が言うには、ナバホ族の人たちは、虹を幸運の前兆だと考え、それに対して他の部族は、虹を生と死を結ぶ架け橋だと考えていた。ただし、いろんな部族の名をマレーがあまりに正しく発音したので、私には聞き取れなかったのだが。
「私がたったひとつ知ってるのはね・・・」ファインマン先生は続けた。「こんな言い伝えだ。虹の端っこに天使が黄金をおいてて、それに手が届くのは裸の男だけってね。裸ならもっと他にすることがありそうなもんだけどね」
先生はいたずらっ子のように笑った。
「虹がどうやってできているか、最初に説明したのは誰か御存知ですか?」
「デカルトだよ」そう言うと、少し間をおいてから、先生は私の目を覗きこんだ。
「デカルトが虹を数学的に分析しょうと思ったのは、虹にどんな特徴があるからだと思う?」
「えーと。虹は、水滴の浮かんでいる大気に、観測者の後ろから日が射した時にできる色のついた弧の連続体で、正確には円錐体の断面です」
「それで?」
「デカルトは、その水滴に注目して、虹の成り立ちを幾何学的に分析すれば問題は解決する、と考えたんじゃないでしょうか」
「君はこの現象の大切な特徴を見落としてるな」
「分かりました。降参です。デカルトを研究に駆り立てたのはなんだとおっしゃるんですか?」
「デカルトがその気になったのは、虹を美しいと思ったからだよ」
私は、どぎまぎして先生の顔を見た。先生と目があった。
「君の研究の方はどうだい?」
わたしは肩をすくめた。「それが、なかなか・・・」自分がコンスタンチンだったらなぁ、と思った。コンスタンチンは、いつだってソツのない男なのだ。
「聞いてもいいかな?小さい頃を思い出してみてくれ。君にとっちゃ、そんなに昔じゃないだろ?子供の頃、科学が好きだったか?科学に夢中になってたか?」
わたしはうなずいた。
「物心がついた頃からずっと」
「僕もさ」先生は言った。「てことは、きっとおもしろかったんだろ」
そう言うと、先生はまた歩き出したのだった。
レナード・ムロディナウ著 安平文子訳 「ファインマンさん 最後の授業」 p164-167
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