棋士の好きな揮毫(きごう)、11つ集めました。
2017年は将棋が改めて注目される年でした。藤井聡太四段が29連勝、羽生善治竜王が誕生し初めての永世七冠、ひふみん、、、*1
特に藤井聡太四段に対する注目度は1年を通じて高かったです。藤井四段の字で「大志」と書いた扇子は売り切れが続いているようです。
www.nikkansports.com このように、毛筆で何か文字や文章を書くことを「揮毫」といいます。将棋や囲碁の棋士は職業柄揮毫をする機会が多く、色紙や扇子にサインを求められると自分の好きな言葉や大切にしていることを揮毫します。
揮毫される言葉の中で、私が好きなものを幾つか紹介します。
- 玲瓏(羽生善治)
- 不将不迎應而不蔵(二上達也)
- 平歩青天(中原誠)
- 自知者明(中原誠)
- 涓滴(藤井猛)
- 時哉(藤井猛)
- 夢追いてまた夢(蛸島 彰子)
- 愈究而愈遠(木村義雄)
- 百折不撓(木村一基)
- 孤雲(趙治勲)
- 闇然而日章(呉清源)
- 番外編
玲瓏(羽生善治)
2017年に竜王位を獲得し、永世七冠になった羽生先生。生涯で一度獲得できれば御の字である名人や棋王といったタイトルを、合計99回も獲得しています。現役第2位の谷川九段は通算27期タイトルを獲得していますが、羽生先生は王座というタイトルだけで24回も獲得しています、、すごすぎる。2018年、通算100期、なるでしょうか。
羽生竜王は様々な揮毫の言葉をもっていますが、この玲瓏(れいろう)という言葉が特に有名です。もともとは四字熟語の「八面玲瓏」から取っており、「どこから見ても透き通っていて、心にわだかまりのないさま」の意味。常に周囲を見渡し、局所的な成功にとらわれることなくありたい、との思いからのようです。
不将不迎應而不蔵(二上達也)
二上先生は、羽生先生のお師匠さんです。タイトル通算5期獲得、89~02年で日本将棋連盟の会長もお務めになりました。
これは「おくらず、むかえず、おうじて、おさめず」と読みます。 荘士の言葉で、
- 不将:過ぎ去ったことをくよくよ悔やまない
- 不迎:先のことをあれこれ取り越し苦労をしない
- 応而:事態の変化に臨機応変に対応する
- 不蔵:心に何もとどめない
とのこと。経営者でも、この言葉を座右の銘にされている方がたくさんいらっしゃるよう。一瞬一瞬、精一杯指し、勝てば喜び負けたときにはぱっと忘れる。そんな心境でしょうか。
平歩青天(中原誠)
中原十六世名人は、「棋界の太陽」と呼ばれた非常に強い棋士でした。羽生先生は永世称号を7つ持っていますが、中原先生も5つのタイトルで永世称号を持っています。通算体凸獲得数は64で歴代3位。
この言葉は、「良い天候の道を伸びやかに歩む」という意味です。まさに棋界の太陽、のびのびとした景色が見えてくる言葉です。
自知者明(中原誠)
もう一つ、中原先生の揮毫から。
「自らを知るものは明なり」老子の言葉です。他人のことを知っているものは賢いといえるかもしれないが、「自分自身のことを知っているものは明察な心を持つ最上の存在である」という意味。
将棋をしていると、相手は強いのか、どんな戦法でくるのか、色々気になるものですが、自分自身を知ることのほうが大切、ということなんですね。
涓滴(藤井猛)
独創的な棋風で知られ、「藤井システム」という大流行の先方を生み出したことでも知られる藤井猛九段。振り飛車という一つの戦い方に特化する自身の姿勢を例えて、
「最近は居飛車党でも四間飛車を指す人がふえましたが、戦法の好き嫌いがないっていうのが、また僕には不思議です。こっちは鰻しか出さない鰻屋だからね。ファミレスの鰻に負けるわけにはいかない」という言葉を残しています。*2
この涓滴(けんてき)という言葉は、ぽつっぽつっという水のしたたりのことです。涓滴岩を穿つ、雨垂れ石を穿つと同じような意味合いですが、たゆまぬ努力を続ければいつか大きな成果につながる、との意味合い。僅かな力であっても続けていくことの重要さを伝える言葉。
深い研究で独自の戦法を一から築き上げ、最終的には竜王位まで上り詰めた藤井先生の人生観が詰まっているように感じます。
時哉(藤井猛)
もう一つ、藤井先生の揮毫から。「ときかな」と読みます。
「まさに今がその時だ!それを自覚して研鑽せよ」という意味です。シンプルだけど決意とメッセージが伝わる素敵な言葉。
夢追いてまた夢(蛸島 彰子)
蛸島先生は、日本初の女流棋士。はじめは男性と同じプロの道を目指すも初段にいたるも挫折。その後女流棋士という制度ができプロ棋士として再挑戦、初代女流名人に。
この言葉はそのままですね。諦めずに夢を追う。
愈究而愈遠(木村義雄)
江戸時代以来、もともと将棋の名人は世襲制でした。1937年、実力制名人戦が始まり、木村義雄十四世名人は第1期の名人となります。あだ名は「常勝将軍」。堕落論を書いた坂口安吾は木村先生と親しく、木村義雄が名人位を失う対決を描いた「散る日本」という随筆を書いています。
「いよいよ究めて いよいよ遠し」福沢諭吉もこの言葉を好んで引用したようです。
将棋であれ学問であれ、「道を極めれば極めるほどに、その先の道は遠く見える」と。その道を極めるための覚悟と責任が伝わってくる言葉です。
百折不撓(木村一基)
木村一基九段は、粘り強い棋風に特徴があります。他の棋士であれば諦めてしまう局面でもぐっとこらえ数々の逆転劇を演じることから、「千駄ヶ谷の受け師」と呼ばれることもあります。
そんな木村先生のこの言葉の意味は、「何度失敗しても志を曲げないこと」まさに棋風を表す言葉ですね。
孤雲(趙治勲)
通算74期のタイトルを獲得した囲碁の棋士・趙治勲名誉名人・二十五世本因坊の言葉です。孤雲(こうん)とは、その言葉の通り、他と離れてぽつんと浮かぶ雲のこと。「孤雲野鶴」というと、世間から離れた隠者のことを言うようです。道の追求に人生をかける、棋士らしい言葉、といったところでしょうか。
趙先生が書くこの揮毫、本当に「ぽつんとした雲」という印象のある字で、とても好きです。
闇然而日章(呉清源)
こちらも囲碁の棋士、呉清源の言葉です。もともとは中国の「礼記」にある「中庸」の一節で、日本語に読み下すと「あんぜんとして ひあきらか」と読みます。そのままの意味は、「ひと目はひかないけれども、日ごとに明らかになる」とのこと。
もともとの文章としては、徳のない人が行うことは人目を引く一方で日に日にその価値がなくなっていってしまうものだが、賢人が行うことは、この「闇然而日章」に従うものだよ、と。
日々、積み重ねです。
番外編
もう一つ、最近見た棋士の素敵な言葉がありました。
2017年に羽生先生からタイトルを奪った中村太地王座。イケメンです。4年前に同じく羽生先生に挑み、その時は敗れていますが、その時と今回の違いを聞かれた時に、下記のように答えています。
二択を突きつけられた時、僕はいつも自分で決めてきた。決められるんだ、という奢りがあったんです。
でも、将棋は必ずしも自分で決められるものではないということが分かりました。相手に委ねることが時として最善になることもある(『将棋世界』より)
この2018年も、楽しく将棋をしていこうとおもいます!