合同会社Cobe Associeを設立して、代表になりました。
今年6月に神戸に移ったばかりですが、この9月に会社を設立して代表になりました。
なんでそうなったの?
起業したい!社長になりたい!のような欲求はこれまで皆無でいまもないんですが、なりゆきでこうなりました。とはいえ、法人とはいえ"人"とひとつ生み出したので、せっかくの機会とおもい頑張ろうと思います。
これまでメインで動いてきたエンブレース社*1にも関わり続けます、ヘルスケア領域好きですし。
もっか、神戸を始めとする関西での活動も広げていきたいと思い動いているところ。この地域に根を張ってがんばってこうと思います。エンブレースで東京のお仕事をリモートでこなしていて相応の価値は出せているし東京はじめ遠方の仕事も、、と思いつつ、欲張らずに、好きな人と好きな仕事をすることをまずは目標にしています。
(お世話になっている神戸のコワーキングスペース・DEPに社会見学にきたねずこん*2)
なにするの?
わたしだけの一人会社なので、できること・したいことを探りながらいろいろしていこうと思います。
絞り出したサービス内容がこちら。これに限りませんが、メニューver1.0ということでご容赦くださいませ。
大切にすること、ミッションなんかはここです。素人なりに頭を絞って考えてみました。
外部のデザイナーさんやエンジニアさん、その他会社さんと組みながらやるプロジェクトを増やそうと思っていて、私からもお声がけするんですが、もし私がお役に立てそうなところがあればふわっとコンタクトください。↑WebにSNSアカウントなども記載がありますし、ご存知の方は直接でももちろんですです。
ふんわり紹介資料も↓のとおりつくっているのでお話にあがります。ご紹介も大歓迎です。
(雰囲気こんな感じでご紹介しようとおもてます)
現状は対外サービスだけなんですが、いずれ自社事業もやりたいので、むくむく考えを進めています。「一緒にこんなことやろーや!」のご連絡、お待ちしてます!!
スタートアップ?
スモールビジネスです。そもそも合同会社だし、外部から資本を入れるつもりもいまはないです。
樹木が年輪を重ねながら大きくなっていくように*3、自然に根を張り太陽を浴びながら、ゆっくりゆっくり成長していこうと思います。会社も私も。
たいへん?
設立は...
会社設立freeeフル活用して登記まではスムーズに行ったんですが、設立完了してから、税務署だ年金事務所だ県だ市だに似たような書類を出さなあかんとなったときにはむぅぅ、、、となりました。いでよ、電子行政。素敵なUI・UXとともに。
今回の申請は、士業の人にはほとんど頼らず自分で書類を作って、自分で出して、とやってきました。もし周りにこれから会社作るぞ!会社化するぞ!みたいな方がいらっしゃればぜひお声がけください:-)
運営は...
始めたばっかりなのでわかりませんが、いろんなツールをフル活用ですすめて行こうと思います。
「こんなのつかってておすすめだよ!」みたいなのがあればぜひお知らせいただけるととても喜びます:-)
いい感じに回ったら、ぜひ周りにもフィードバックしていきます。
さいごに
自分でちっちゃいといえど会社をするようになるなんて、1年前でも全く想像してませんでした。これもご縁、縁起ですね。
大好きな読書も続けつつ*4、家族も大切に、自分のペースでしっぽりやっていきたいと思います。
揮毫の記事で書いた「平歩青天」の気持ちで。
みなさま、引き続きよろしくおねがいします。
*1:この9月に社名が代わりました。https://www.embrace.co.jp/news/20180903.html
*2:ねずこんのぬいぐるみ、ここで買えます。
*3:伊那食品工業の塚越会長がおっしゃっていた年輪経営という言葉。https://www.kantenpp.co.jp/corpinfo/rinen/01.html
問いを探す旅。
答えばかりのこの世界で、問いを探すことのほうが大切だと思う。
私たちは、人生が出した問いに答えることによって、その瞬間の意味を実現することができます。(中略)
人生が出す問いは、瞬間瞬間、その人その人によって、全く違っています。(中略)
それはたとえば、チェスの世界チャンピオンにインタビューして、「ところで、先生、どういう手が一番いい手だとお考えでしょうか」と尋ねるようなレポーターの質問が、とんちんかんなのと同じです。そもそも、全く特定の、具体的な勝負の局面、具体的な駒の配置を離れて、特定のいい手、そればかりか一番いい唯一の手というものがありうるでしょうか。
(pp.29-30)
- 作者: V.E.フランクル,山田邦男,松田美佳
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 1993/12/25
- メディア: 単行本
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言葉ログ#17 "本当に集中して仕事がしたいとき、あなたはどこへ行くだろう? "
神戸に移り、東京のチームから離れてリモートで働いています。
私の感覚からすると、出している成果は全く減っていないし、チームとしてよりよい方向に進んでいる気がしています。
なぜ会社にいると仕事ができないのか。
本当に集中して仕事がしたいとき、あなたはどこへ行くだろう?
まわりの人間に、そうたずねてみてほしい。「会社」と答える人は、ほとんどいないはずだ。
(『強いチームはオフィスを捨てる』Kindle版、No.84)
この本のタイトルは対偶で捉えたほうがいい気がしていて、
「オフィスを捨てられないのならば、そのチームは十分に強くない」
が正しい。リモートワークは働き方の話である以上に、チームの話であり、採用の話。
少しずついまの会社のチームも強くなっていっているのを実感しながら、今日も頑張っていきます。
言葉ログ#16 "地球は広大な宇宙というアリーナのとても小さなステージだ"
宇宙探査機ボイジャー1号が60億km先の彼方、海王星の向こう側から地球を撮影した写真を見て、天文学者のカール・セーガンが残した言葉。解像度の低い写真に、点として映った地球。それをセーガンは”Pale blue dot(淡く青い点)”と呼んだ。
もう一度、あの点を見て欲しい。あれだ。あれが我々の住みかだ。あれが我々だ。あの上で、あなたが愛する全ての人、あなたが知る全ての人、あなたが聞いたことのある全ての人、歴史上のあらゆる人間が、それぞれの人生を生きた。人類の喜びと苦しみの積み重ね、何千もの自信あふれる宗教やイデオロギーや経済ドクトリン、すべての狩猟採集民、すべてのヒーローと臆病者、すべての文明の創造者と破壊者、すべての王と農民、すべての恋する若者、すべての母と父、希望に満ちた子供、発明者と冒険者、すべてのモラルの説教師、すべての腐敗した政治家、すべての「スーパースター」、全ての「最高指導者」、人類の歴史上すべての聖者と罪人は、この太陽光線にぶら下がった小さなチリの上に生きた。
地球は広大な宇宙というアリーナのとても小さなステージだ。考えてほしい。このピクセルの一方の角の住人が、他方の角に住むほとんど同じ姿の住人に与えた終わりのない残酷さを。彼らはどれだけ頻繁に誤解しあったか。どれだけ熱心に殺しあったか。どれだけ苛烈に憎しみあったか。考えてほしい。幾人の将軍や皇帝が、栄光の勝利によってこの点のほんの一部の一時的な支配者になるために流れた血の川を。
我々の奢り、自身の重要性への思い込み、我々が宇宙で特別な地位を占めているという幻想。この淡い光の点はそれらに異議を唱える。我々の惑星は宇宙の深遠なる闇に浮かんだ孤独な芥だ。地球の目立たなさ、宇宙の広大さを思うと、人類が自らを危機に陥れても他から救いの手が差し伸べられるとは思えない。
(『宇宙に命はあるのか』Kindle版、位置2,194)
わたしたちは日々どれだけ小さいことに振り回されているんだろう。
上司や同僚がいう「これは重要な仕事だから」は、本当はどれだけ大切なのだろう。
「あの人と私は違うから」という人は、ほんとのところどれだけ違うのだろう。
自分たちは、どれだけ小さい世界で生きているんだろう。
世界は、宇宙はなんて広いんだろう。
言葉ログ#15 "「演算された未来」というフィルターバブルのなかには、薄まり先細っていく「現在」しかない"
思考を飛躍される、ぶっ飛んだアイディアが生まれる、
AIが得意な「最適化」に溢れた世界でそんなことが起きるんだろうか。
最適化ということばには、現状をひたすら肯定し、ただ補強していくだけのような響きがある。未来の価値が現在との差分に宿るというのが本当なのであれば、「演算された未来」というフィルターバブルのなかには、薄まり先細っていく「現在」しかない。そこでは誰も、なにも成長しない。飛躍もない。驚きもない。未来そのものが奪われているのだ。(最適化されてはいけない)p486-487
イノベーションは"今から離れる"勇気から始まるのだ。ニーズからではない。
言葉ログ#14 "コンテンツがあるから箱が必要になるんですよね?というのは、そんなに異端的な意見なのだろうか"
箱よりもコンテンツ。土管よりもコンテンツ。
通信会社を「土管屋さん」と揶揄するのは簡単だけど、世にある多くのスタートアップや新規事業も同じようになっているのではないか。
けれども新しい施設ができたところで、右にあったものが左に動いただけ、使い回しの果てに中身の薄まったものばかりが増えたところで一体誰が得をするのだろう。コンテンツがあるから箱が必要になるんですよね?というのは、そんなに異端的な意見なのだろうか。
土管さえ作っとけばコンテンツはユーザーから自動的にジェネレイトされるんですよ、みたいな調子で、スキームとストラクチャーとちょっと洒落たUI/UXがあれば一丁上がりとするようなやり口、考え方は、ITに関わる話でさんざん見聞きしてきたけれど、その悪弊がビットからアトムよろしく、現実世界の中へと流れ出ていっているのを、僕らはこれからふんだんに目のあたりにすることになるに違いない(いや、むしろ、ことは逆かもしれず、もしかすると土建屋の発想がそのままITに引き継がれただけなのか)。(ピッチフォークとパワリー・ボールルーム)p349
箱に感動する人はいない。常にコンテンツから始まるべきなのだ。
言葉ログ#13 "経済にしか興味がない社会では、教育空間は、利潤を生むための部品を作る工場でしかない。"
教育論=こどもに何をどうプログラミングするか、ということなんだろうか。
切に、そうではないことを祈る。
学校ってのは、実際、経済的な指標でしか評価をされない、とても残念な空間なのかもしれない。かつてもそうだったし、いまでもそうなのだろう。経済にしか興味がない社会では、教育空間は、利潤を生むための部品を作る工場でしかない。より有能な部品とするために、子どもたちにいまなにをプログラミングすべきか、という議論に喜んで参加する気にはどうしてもなれない。やれ英語だ、やれプログラミングだ、やれICTだ、やれファブだ。お好きにどうぞ。
いずれにせよ、学校というもののこうした「残念さ」は、社会そのものの「残念さ」の反映にほかならない。学校における生徒の評価は、そのまま社会における「人材」の評価と直結している。そして、この社会における「いい人材」は、いまなお程度の差こそあれ、結局のところ「お金」という指標でしか定量化されない。子どもに「なぜ勉強しなきゃいけないの?」と聞かれても、あらゆることを数字でしか測れない社会は、ろくな答えをだすことができないだろう。(音楽からぼくらは勇気を学ぶ) p279
本来は社会の一部分でしかないはずの経済が、社会そのものを覆ってしまっている現代に。残念な社会にしない責任は、私たち全員にあるはずだ。